我上回跟錦坤說日人圓仁的漢文日記"入唐求法巡禮行記"在中國
首先是周作人撰一文介紹
後來 在向達和陳寅恪的文章都有引用
我當時沒讀胡適1932.5.19完成的"
中國中古思想史的提要"
第十二講 "禪學的最後期" 內有"......在長安親見毀法事
可看他的"入唐求法巡禮行記"卷三及卷四"
此版本有美國日本名家*賴世和教授的讚詞
可能還有許多新內容
唯一缺點是缺索引
勞先生的一篇書評 並沒有收入他80歲的紀念論文中: 《清華學報》(Tsing Hua Journal of Chinese Studies)第1卷 第 2 期 民國四十六年四月:
雷夏:圓仁入唐求法巡禮記〈英譯本〉
雷夏,圓仁入唐事蹟
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彭明敏《自由的滋味》台北:玉山,2009,頁97
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1960年的胡適之先生年譜長編初稿一直沒有將
圓仁這夲漢文日記的英譯者
Reischauer 賴世和的博士論文拼對
我20年前在國家圖書館(中央圖書館)看過此書的英法譯本
此書日本有詳注本 中國有簡化的
入唐求法巡禮行記,校註( 石家莊:花山文藝 1992)
中國學者向達/湯用彤和陳寅恪等人都用過它
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胡適先生用比較多的是他的學生圓珍帶回的書之目錄中的"能禪師"
The Record of a Pilgrimage to China in Search of the Law (入唐求法巡禮行記, nittō guhō junreikōki?) is a four volume diary written by
Ennin, a
Japanese Buddhist monk in
China during the ninth century. He was one of eight Japanese Buddhists who studied in China at that time. He wrote his diary while he went on a Buddhist pilgrimage to China for nine and a half years (838-847). The books are translated into English as two volumes by Professor
Edwin O. Reischauer of
Harvard University under the title
Ennin's Diary: The Record of a Pilgrimage to China in Search of the Law (Ronald Press, New York: 1955) and
Ennin's Travels in T'ang China. The first volume is a translation of Ennin’s Diary. The second volume, a discussion of Ennin's travels, includes materials from other sources.
Ennin's travel books are precious as historical sources, although they have some errors. His book was the first written document about China and its life by a foreigner. He did not write an evaluation of what he saw, but rather wrote about religious matters and Chinese life under the
Tang Dynasty. His diary is a good source on the practice of popular Buddhism in China. He described ceremonies as well. He brought back many
sutras and
mandalas to Japan. He struggled in his travel during the Tang’s persecution of Buddhism (842-846).
Another contribution on his books was about
Korea, which records details of Korea's active trade with Northeastern China. Korean had a dominant role in trade between East China, Korea, and
Japan.
入唐求法巡禮行記,是
日本和尚
圓仁入唐求法巡禮過程當中用
漢文(
文言文)寫的一部日記體著作。
[編輯] 著作介紹
全書從
唐文宗開成三年六月十三號(公元
838年7月2號)開始寫起,從日本
博多灣登船出發,一直寫到
唐宣宗大中元年十二月十四號(公元
848年1月23號)從中國迴轉日本
博多,前後歷時九年七個月。全書雖然不是逐日記載,但是基本上按日程分列,總共597篇(也有人認為是595篇),總計八萬多字,分為四卷。
[編輯] 內容
- 巻一 承和5年(836年)6月13日條 - 開成4年(839年)4月
- 巻二 開成4年(839年)4月 - 開成5年(840年)5月
- 巻三 開成5年(840年)5月 - 會昌3年(843年)5月
- 巻四 會昌3年(843年)6月 - 承和14年(847年)12月14日條
[編輯] 傳播過程
圓仁《入唐求法巡禮行記》
手澤本原藏
京都延曆寺,失傳已久。但是《入唐求法巡禮行記》寫成之後,曾經廣為流傳。關於《入唐求法巡禮行記》一書個文獻記載,最早要算《慈覺大師傳》,《慈覺大師傳》書寫關於圓仁和尚示寂後49年,《慈覺大師傳》里明確寫明:「入唐事迹,一依本記」。另外,
宋神宗熙寧五年(公元
1072年)來中國的日本僧人
成尋之《
參天台五台山記》,成尋在「延久四年十月十四日」該篇記載向宋神宗獻禮品辰光,提到:「覺大師巡禮記三卷依次進上,至巡禮記第四卷隱藏不進上,依思會昌天子惡事也。」由此可見,《入唐求法巡禮行記》當時是作為國禮呈送,而且成書之初即為四卷。(成尋之所以囥脫第四卷,是因為第四卷中涉及
唐武宗「
會昌排佛」個惡事,里向交關憤恨之辭。)後來一直到
鎌倉幕府時期(公元1192-1333年)《入唐求法巡禮行記》的抄本仍在僧俗間流傳。但此後長達五個多世紀里默默無聞。
明治十六年(公元
1883年)以後,
三上參次博士等在調查京都東寺觀智院所藏文獻之時,重新發現在
伏見天皇正應四年(
公元1291年)長樂寺老僧手抄個《入唐求法巡禮行記》古抄本。該一發現震動日本朝野,明治三十六年(公元
1903年),作為留存秘庫之該書為最古抄本,《入唐求法巡禮行記》被尊為國寶。大正七年(公元
1918年),該書被收進
佛教刊行會出版的《大日本佛教全書》《遊方傳叢書》當中。
[編輯] 參見
世界三大旅行記另外兩部:
[編輯] 參考文獻
- 『入唐求法巡禮行記』 足立喜六訳注、塩入良道補注、平凡社東洋文庫、1・2。 (訳文は文語體)
- 『入唐求法巡禮行記』 深谷憲一訳、中央公論社<中公文庫>。(原文と現代語訳が併載)
- 築摩書房の日本古典仏教文學集で堀一郎が、中央公論社の大乗仏典で木內尭央が、各數十ページずつ抄訳をしている。
- 小野勝年 『入唐求法巡禮行記の研究』全4巻、法藏館。(研究書)
- エドウィン・ライシャワー 『円仁唐代中國への旅 「入唐求法巡禮行記」の研究』 田村完誓訳、講談社〈講談社學術文庫〉/原書房(単行本)。
- 阿南ヴァージニア・史代 『円仁慈覚大師の足跡を訪ねて 今よみがえる唐代中國の旅』 小池晴子訳、ランダムハウス講談社、2007年。著者は阿南惟茂の妻で歴史家
- 松原哲明 『マルコ・ポーロを超えた男 慈覚大師円仁の旅』 佼成出版社。
- 玉城妙子 『円仁求法の旅』 講談社、2000年。
- 佐伯有清 『慈覚大師の研究』 吉川弘文館。
- 佐伯有清 『最後の遣唐使』 講談社〈講談社學術文庫〉。
[編輯] 外部連接
『
入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)とは、
9世紀の日本人僧で、最後の
遣唐使(承和)における入唐請益僧である
円仁の
旅行記である。
その記述内容は、円仁がちょうど遭遇してしまった、
武宗による
会昌の廃仏の状況を記録した同時代史料として注目される。また、正史には見られない、9世紀の中国の社会・風習についての記述も多く、
晩唐の歴史研究をする上での貴重な史料として高く評価される。円仁は
最澄に師事した
天台僧で、のちに
山門派の祖となる。
沿革 [編集]
入宋した僧
成尋が北宋皇帝に進上している。
その後所在が忘れられていたが、明治に入って写本が
東寺で再発見された。
1955年には、駐日大使でもあった
エドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる。
内容 [編集]
構成 [編集]
全4巻、文量は7万字。
原本は失われた。1291(
正応4)年に京都祇園の長楽寺の
兼胤という僧が72歳の時に書写した
東寺観智院旧蔵本が最古の写本である。70歳を越えた老僧が老眼鏡もない時代に苦労して書写した写本であり、解読に困難な文字が少なくない。
- 巻一 承和5年(836年)6月13日条 - 開成4年(839年)4月
- 巻二 開成4年(839年)4月 - 開成5年(840年)5月
- 巻三 開成5年(840年)5月 - 会昌3年(843年)5月
- 巻四 会昌3年(843年)6月 - 承和14年(847年)12月14日条
文献 [編集]
- 『入唐求法巡礼行記』 足立喜六訳注、塩入良道補注・解説、平凡社東洋文庫全2巻。(訳文は文語体)
- 『入唐求法巡礼行記』 深谷憲一訳、中央公論社[中公文庫]。(原文と現代語訳が併載)
- 堀一郎訳 『古典日本文学全集15 仏教文学集』(筑摩書房)-数十頁の抄訳
- 木内尭央訳 『最澄・円仁 大乗仏典<中国・日本篇 第17巻>』(中央公論社)-数十頁の抄訳。
- 小野勝年 『入唐求法巡礼行記の研究』 (全4巻、新版法藏館、1989年)-大部の研究書
- 壬生台舜 『叡山の新風-山家学生式「最澄」.入唐求法巡礼行記「円仁」 <日本の仏教3>』(筑摩書房、初版1967年)
- エドウィン・ライシャワー 『円仁唐代中国への旅 「入唐求法巡礼行記」の研究』
田村完誓訳、講談社学術文庫、1999年/旧版は、実業之日本社と原書房。
- 阿南ヴァージニア・史代 『円仁慈覚大師の足跡を訪ねて 今よみがえる唐代中国の旅』
小池晴子訳、ランダムハウス講談社、2007年-著者は阿南惟茂夫人、中国語版も同時刊行。
- 松原哲明 『マルコ・ポーロを超えた男 慈覚大師円仁の旅』 福島一嘉写真、佼成出版社、1993年。
- 玉城妙子 『円仁求法の旅』 講談社、2000年。
- 佐伯有清 『最後の遣唐使』 講談社現代新書、1978年/講談社学術文庫、2007年。
- 斎藤円真(齊藤圓眞) 『天台入唐入宋僧の事跡研究』 山喜房仏書林、2006年。
- 『渡海天台僧の史的研究』 山喜房佛書林、2010年。-各.学術研究の大著。
関連項目 [編集]