2016年12月7日 星期三

《唐代の禅宗》 (柳田 聖山著) 《唐代の禅宗・読後の耳聾》大宋新譯三藏聖教序(石井修道 1943- ; 另編本書索引)



唐代の禅宗 (学術叢書・禅仏教) 単行本 – 2004/12

唐代の禅宗の五家の中でも特に曹洞宗を本格的に論じた研究。高麗末の「五位顕訣」と、「禅林僧宝伝」所収の「五位頌」及び「人天眼目」再編のものとのちがいを深く追求する。
柳田禅学は従来、臨済宗発展に絡むイ仰宗の重要性を指摘しきたが、本書ではさらに曹洞宗を本格的に論じ、「唐代禅宗はイ仰宗と曹洞宗に始まる」ことを明らかにしようとする。

読後の耳聾 (石井修道 1943- ; 另編本書索引)

柳田 聖山(やなぎだ せいざん、旧姓:横井(よこい)、1922年12月19日 - 2006年11月8日)は日本中国禅宗史研究の第一人者。義父は柳田謙十郎西田幾太郎門下出身の哲学者、妻は茶道家柳田宗葩
1922年に滋賀県愛知郡稲枝村(現在の彦根市)の延寿寺臨済宗)に生まれる。
臨済学院専門学校(現在の花園大学)、大谷大学京都大学に学び、久松真一に師事してFAS禅運動に共鳴。中国禅宗史研究に於いて批判的資料研究を進め、資料が史実ではなく、その時代の要請によって製作されたことを見抜いた。
また、博覧強記なことで知られ、不勉強な後輩を一言の下に教化し、大正大学教授を務めた天台教学の関口眞大と共に「東の関口、西の柳田」と称された。
花園大学、京都大学、中部大学の教員を歴任し、1991年には紫綬褒章、1996年には勲三等瑞宝章を受章した。


恰(あたかも)も廣野に落雷に会ふて眼くらめき耳聾(ろう)ひたるが如き、今までに曽( ..... 明治六年(1873)、治五郎は英語・読後・普通学を学ぶため英語学校の育英義塾に ...




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書前與下述的不同


大宋新譯三藏聖教序〔一〕 端拱元年十月


大矣哉,我佛之教也!化導群迷,闡揚宗性。廣博宏辯,英彦莫能究其旨;精微妙説,庸愚豈可度其源?義理幽玄,真空莫測,包括萬象,譬喻無垠。綜法網之紀綱,演無際之正教,拔四生于苦海,譯三藏之秘言。天地變化乎陰


相同

[PDF]26宋新譯三藏聖教序記01690

www.ihp.sinica.edu.tw/~twsung/song/93/26.pdf


CBETA

大宋新譯三藏聖教序跡. 太宗神功聖德文武皇帝製. 大矣哉我佛之教也化導羣迷闡揚 宗性廣博宏辯英彥莫能究其旨精微妙說庸愚豈可度其源義理幽玄真空莫測包括萬象  ...
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K. no. 1482

大宋新譯三藏聖教序   跡
大矣哉我佛之教也化導羣迷闡揚宗性廣博宏辯英彥莫能究其旨精微妙說庸愚豈可度其源義理幽玄真空莫測包括萬象譬喻無垠綜法網之紀綱演無際之正教拔四生於苦海譯三藏之祕言天地變化乎陰陽日月盈虧乎寒暑大則說諸善惡細則比於恒沙含識萬端弗可盡述若窺像法如影隨形離六情以長存歷千劫而可久須彌納藏於芥子如來坦蕩於無邊達磨西來法傳東土宣揚妙理順從指歸彼岸菩提愛河生滅用行於五濁惡趣拯溺於三業途中經垂世以難窮道無私而永泰雪山貝葉若銀臺之耀目歲月煙蘿起香界之自遠巍巍罕測杳杳難名所以道資十聖德被三賢至道起於乾元眾妙生乎太易揔繁形類竅鑿昏明絕彼是非開茲蒙昧有西域法師天息災等常持四忍早悟三乘翻貝葉之真詮續人天之聖教芳猷重啟運偶昌時潤五聲於文章暢四始於風律堂堂容止穆穆輝華曠劫而昏墊重明玄門昭顯軌範而彌光妙法淨界騰音利益有情俱登覺岸無成鄣礙救諸疲羸冥昧慈悲浩汙物表柔伏貪佷啟滌昏愚演小乘聲聞合其儀論大乘正覺立其性含靈悟而蒙福藏教缺而重興幻化迷途火宅深喻雖設其教不知者多善念生而無量潛臻惡業興而隨緣皆墯調御四眾積行十方澍華雨於金輪護恒沙於玉闕有頂之風不可壞無際之水弗能漂澄寂湛然圓明清淨之智慧性空無染妄想解脫之因緣可以離煩惱於心田可以得清涼於宇宙朕慙非博學釋典微閑豈堪序文以示來者如縻螢爝火不足比之於皎日將微蠡量海未能窮盡於深淵者哉。


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