2011年2月1日 星期二

薬師寺奈良時代寫經發現

胡適說的日本佛寺之從中國取回的資料"大索"
其實相當困難
今天還有原先以為是數百年前的寫經
結果是奈良時代的

なら‐じだい【奈良時代】

    奈良の平城京に都のあった時代。和銅3年(710)から延暦3年(784)までの74年間。律令国家の完成期にあたり、国土の開発、制度の整備が進められ、や朝鮮との交通、仏教の興隆などにつれて、日本の文化・芸術が大きく開花した。聖武天皇の時代が最盛期。美術史では天平時代ともいう。奈良朝。

なら【奈良】

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奈良県の県章

    近畿地方中部の県。もとの大和(やまと)にあたる。
    奈良県北部の市。県庁所在地。和銅3年(710)平城京が建設され、75年間古代日本の首都として栄えた。のち、京都を北都というのに対して南都と呼ばれる。また、東大寺・春日大社・興福寺の門前町として発達。古社寺、文化財、伝統行事が多い。奈良漬・墨・一刀彫などを特産。古くは「那羅」「平城」「寧楽」などとも書いた。人口37.4万。
    [補説]平成5年(1993)に「法隆寺地域の仏教建築物」として法隆寺法起寺が、平成10年(1998)に「古都奈良の文化財」の名で東大寺興福寺春日大社春日山原始林元興寺薬師寺唐招提寺平城宮跡が世界遺産(文化遺産)に登録された。

江戸時代の経本、実は奈良時代の写経だった 薬師寺

2011年2月2日8時54分


 奈良・薬師寺は1日、寺所蔵の大般若経(だいはんにゃきょう)47冊が、奈良時代に書写された経巻を再構成した「永恩経(えいおんきょう)」の一部とわ かったと発表した。元は巻物だったが、江戸時代に折り本に仕立て直されたらしく、これまで江戸時代の経本とされていた。永恩経は約40巻しか見つかってお らず、重要文化財級の発見という。

 永恩(1167~?)は鎌倉時代を生きた奈良・興福寺の僧で、奈良~平安期の経巻を集めて大般若経全600巻の再構成に取り組んだ。永恩経の大半は散逸し、京都国立博物館の2巻が重文指定されている。

 今回、永恩経とわかった経本は、1冊が縦25.6センチ、長さは折り目をならすと8~10メートル。昨年9月、巻末の「奥書」に朱書きされた永恩の署名から「永恩経」と判明。筆跡などから、奈良時代の写経と判断された。

 薬師寺宝物管理研究所の稲城信子研究員は「奈良時代の写経の発見は奈良でも数例。まとまって見つかった意味は大きく、重文級だ」と話す。

 経本は26日~3月6日、東京・五反田の薬師寺東京別院で開かれる「薬師寺の文化財保護展」(朝日新聞社後援)で公開される。(編集委員・小滝ちひろ)

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