胡適日記
1934.6.13 W
1934.6.13
橋川時雄宴請鈴木大拙,約錢稻孫、湯淺予、徐森玉與我作陪。橋川送我一部常盤大定的《寶林傳之研究》,附有日本出現的《寶林傳》第六卷影本,攜歸讀之。
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http://www.rinsen.com/linkbooks/ISBN978-4-653-04253-2.htm
橋川時雄 民國期の學術界 高田時雄 編 《映日叢書 第3種》 菊判上製・322ページ 本体3,800円+税 ISBN978-4-653-04253-2 橋川時雄が迫る中華民国時期の学術と文化の実情 かつて長く北京に住んだ橋川時雄(中国古典文学・古代文献学者1894〜1982)による、戦前期の雑誌新聞への寄稿記事・未刊の報告書・また極めて限られた範囲にのみ流通した文章のうち、新中国成立以前(中華民国時期)の学術や文化の実情についての記述を選び、収録する。一日本人橋川時雄の眼と心を通して記された、知られざる民国学術界の諸側面。 <目次> 天津、濟南及長江地方學事視察報告書 『書香』への寄稿 北京史蹟雜話 支那學界の趨勢と北平文化の崩壞 北京文化の再建設 日支文化工作の觀點 北京文學界の現狀 北京の學藝界 江叔海學行記 章太炎謁見紀語 京山李維楨傳考 雜抄二則 支那典籍から見た朝鮮典籍 南社と汪兆銘 昭和九(民國二十三)年度支那文化大事記 昭和十(民國二十四)年一月至八月支那學界大事記 編集後記 ●橋川時雄(はしかわときお)二松学舎大学名誉教授。 明治27(1894)年3月22日~昭和57(1982)年10月19日。 中国古典文学・古代文献学者。別名号=酔軒、子雍。 大正7年北京に渡り、北京大学で聴講。11年〜昭和2年漢字紙「順天時報」記者として学芸を担当。2年文字同盟社を主宰し、漢文、日文併戴の「文字同盟」を6年まで発行した。3〜20年日中両国共同の東方文化事業総委員会に勤務、総務委員署理として北京人文科学研究所の運営にあたり、『続修四庫全書提要』編纂を主宰した。21年帰国、京都女子大学教授、27年大阪市立大学教授を経て、二松学舎大学文学部教授、のち同大学名誉教授となる。著書に『陶集版本源流攷』、編纂に『中国文化界人物総鑑』などがある。 |
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