2020年4月12日 星期日

胡適 〈百二十回本《忠義水滸傳》序〉, 陳 舜臣〈我與水滸伝〉、高友工《方臘之亂》



讀了Wikipedia的《水滸傳》,發現它可能沒讀過胡適的 〈百二十回本《忠義水滸傳》序〉,很可惜。這是胡先生十來年的讀書報告,是1930年代的水滸研究報告。

《水滸傳》是中國、日本文化的重點之一,這為何漢學家翻譯它:
吉川幸次郎清水茂 『水滸伝』百回本全訳 全13冊 1948-91年 岩波文庫。第7-8冊共訳、第9冊以降は清水訳。/『水滸伝 完訳』1995-96年 全10冊。吉川訳部分を清水が改訳、クレジットは「吉川幸次郎・清水茂 翻訳」としている




陳 舜臣 我與水滸伝《水滸傳》〈方臘之亂》》( A Study of Fang La Rebellion )


我以前知道高先生的博士論文,然而不知道方臘之亂的歷史與意義。


「高友工一九五一一年畢業於臺灣大學中文系,兩年後赴美國哈佛大學追隨楊聯陞教授修讀中國歷史,一九六一一年以〈方臘之亂》( * A Study of Fang La Rebellion ° )論文獲博士學位,
直到讀了陳 舜臣 〈我與水滸伝〉,收入 《 1964年的便箋》, 頁140~64,才特別想去了解。
陳先生特別談宗教自發的鬥爭.....



『水滸伝』の原本[編集]
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
水滸傳


中国の通俗小説は「回」と呼ばれる講談の一話に相当するまとまりからなるが、現存する版本からの考察では百回構成が最も古い形とされる。容与堂本では、梁山泊に百八人の豪傑が集うまでを描いた七十一回と、梁山泊と朝廷の奸臣たちが派遣した官軍との戦いを描く十回、百八人が朝廷の招安を受けて、北方の契丹人の王朝と戦う九回、江南で宋江たちと同じように方臘の乱を起こしていた方臘を官軍として討伐する中で梁山泊集団が壊滅してゆく過程を描いた十回に分かれる。

水滸伝が人気を博するようになると、16世紀頃に最後の方臘戦十回の前に、百回本では叛徒として名前が登場するのみの田虎王慶の反乱軍を鎮圧するそれぞれ十回が付け加えられた百二十回からなる版が生まれた。これを百二十回本と呼び、もともとの百回構成の版を百回本と呼ぶ。

方臘(ほうろう) 花石綱に不満を持つ民衆と喫菜事魔を利用し、江南で反乱を起こした。
石宝(せきほう) 方臘軍の将帥。杭州、烏竜嶺にて梁山泊軍の前に立ちはだかる。








水滸伝〈上〉 (1975年) (中国古典シリーズ〈3〉) - – 古書, 1975
陳 舜臣 (著)
-: 173ページ
出版社: 朝日新聞社 (1975)

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